まばたきの隙に

数行に、そのままに、

瑠璃色の日々 《9・聞こうとしたのは》

九・《聞こうとしたのは》

 

 祖母の話になると終わらない。今も下で近所に人に自分も悪口を言われてるとも知らず、その近所の人に身内の悪口を言っているが一旦離れよう。 私は田舎で生まれて育ってきた。狭いコミュニティーで優しい近所の高齢者に見守られ、少ない友人とその保護者と田舎特融のルールの中で。そして気づけばあんなに元気に接してくれた近所の高齢者が知らぬ内に亡くなったり、話が通じない人になったりしていて悲しさと一種の怖さを感じ、自分はもう大人になったのだと知った。小学生の頃行っていた駄菓子屋をもうやっていない。家庭科の宿題で名前の意味を親に聞いたのだと、お会計のおばさんに話したのが思い出されるあの時と同じ土曜日の15時に、大人になった私は母に聞いた。

瑠璃色の日々 《8・常》

八・《常》

 

 父も母もそう楽に構えてほしい。長く重そうな過去を経て、旦那の入院や借金の返済に大切なものを投げ打ち、旦那不在の義実家で子どもを育ててきた苦労や恩を思うと、母には楽しく穏やかに日々を過ごしてほしい。でも自分にはその考えを上手く伝えたり、検討してもらうことが出来ていない。(これも私が説得力ある人間になれていない私の過去の選択故なのだが、諦めているわけではなく今も伝え方や生活の改善について考えている最中なのだ。)

瑠璃色の日々 《7・私の中》

七・《私の中》

 

 何に影響されたのか、私は人生の全てを快、不快で分けた時に自分が不快と感じることは8割自分せいで、残りはどうしようもない理不尽だと思うようになった。そう考えたら私は楽になった。よく聞くが人を変えるより自分が変わる方が早い。仕事で起きた嫌なことも家で起きた嫌なこともほとんどが自分の過去の選択故(または選択で避けられたはずのこと)なのだ。だから私が今感じているこの「怒鳴り声」のことも私がもっと国語やコミュニケーション基礎なんかを勉強していたら良い伝え方を得られたかもしれない(しなかったのは私)。そしてこれから学べばなんとかなるかもしれないという選択肢も出てくるが、結局は自分なのだ。例えば「あぁなんでこれをつかったのよ…」と言っても伝わらない人間をどうこうするより、「私がここに置いてたからね」と、面倒でもダイエットになるわと別のところに置くようにした方がずっと楽だ。不快に思う事も考えてみれば回避できたはずのこと。それなら今度からこうしようと思うと傷が浅くすむ。

瑠璃色の日々 《6・私》

六・《私》

 

 まあそれはいいとして、私は本や映画で感動して涙することもあるし、好きな物について友人と長々と語ることもあるし、その日の気分で調子が出ないこともある。自分を冷めている人間だとは思わないが祖母を怒鳴る父も、祖母をなんとかしようとする母のことも理解できないでいる。いや、私も数年前は「○○って言ったでしょ!」「○○はしないでよ!」なんて言っていたからそうしたい気持ちは分からないでもないのだが、何年、何十年言っても変わらない(むしろ悪化しているような)ことを繰り返し、酷いストレスを感じている二人を可愛そうに思っているのだ。そして出来るなら私と同じくらいの気持ちでいてくれと願うのだ。

瑠璃色の日々 《5・憂鬱・2》

五・《憂鬱・2》

 

 嫁いびりなんて言葉があるがそんな風ではないのだ。(それもあったかもしれない)些細なことでも何日も何か月も、何年も積み重なると許せなくなることから、とても人には言えないようなことまで。父も祖母を叱るが何の意味もない。怒鳴っているだけだし、本当に祖母には何をしても響かない。最近は少し認知症も気になるようになってきた。また父は家を数日空ける仕事をしていて、父が返ってきた日はいくらかましなのだ。 私は家の財産なんかを詳しく知らないから言えるのかもしれないが施設に入れた方がいいと思う。(入れたら数年で破産するなんて程厳しい生活ではない)もちろん皆のために。

瑠璃色の日々 《4・憂鬱》

四・《憂鬱》

 

 きっとこれも「よくある問題」なのだろう。まず最初に書かなかったが家には祖母(父の母親)もいる。近所の人や祖母の兄弟からの話しや接し方を見ても昔からおかしな人だったことが分かる。母の母親とは真逆な人だから嫁に来たときは苦労しただろう。そして今も。(嫁姑問題というやつは平安時代にはもうあった様だしきっとこれも「よくある問題」だろうが)

瑠璃色の日々 《3・祖母》

三・《祖母》

 話しは変わるが私の生活は「これさえなければなぁ」というものがある。(誰にでもあるだろうが)それは怒鳴り声(一方的なものではないのだが)。昔もあったが、最近またすこーし増えたように感じる。隣の部屋から聞こえるその声に知らないふりをする。心臓が本当はうるさいくらいドクドクしている。声の主は父と母。喧嘩はしょっちゅうだが(その時も私の心臓は…)最近は祖母のこと(祖母と書くとまともで優しい感じがするのは何故だろう)。